沖縄市議会の現職員、當間一嘉は、植樹祭の朝、頭に異常な痒さを感じて、目覚ましに来る女房よりも早く起きた。鏡の前に立つと、ピンク色をした湿疹が、禿げあがった彼の頭上全体に広がっていた。

カクマクマ第六話 檻の中の動物園
第6話 檻の中の動物園 (中編)

「この時期はむせるから、しかたないわね。今日1日はアレ、外した方がいいわよ。植樹祭ってキャンセルできないのかしら」

薬箱から取り出した湿疹止めを指に塗り、彼は舌打ちで返事を返した。

「今回の広報担当は俺の後援会なんだ。張り切ってテレビとかさ、市民だよりの記者なんかまで、呼んであるんだよ。体調不良ぐらいで休んだら、メンツが立たないだろう」

「でも、どうするの?カツラ。この頭じゃ、被れないわよ」

「うーん」

廊下に張られた、自分の選挙ポスターを見た。若々しい黒髪の、若々しいやる気と精気を感じる、若々しい笑顔。でも、この當間の頭は本物ではない。しかし、この事実は後援会の連中ですら知らない。彼と彼の妻だけの秘密なのだ。玄関脇にかけてある、市のシンボルマークの入った白いハンチング帽を、彼は見つけた。去年のゴルフコンペでもらったやつだ。

「いいのがあったよ」

「あら、ナウいじゃない」

「そうかなぁ?」


帽子越しでも日焼けしそうな、午前の太陽は、駐車場へ出て5分で當間の帽子の中を、蒸らした。頭皮に痒みを感じた。緑のかりゆしウェアとスラックスの涼しげな服装も、気休めにならず、革靴の下ですらアスファルトの熱気で発汗していた。
植樹祭の出席者は毎年2人だけ。今年は當間と革新系の新人、久保田雄一だった。

「おはようございます」

買ったばかりであろう鼠色の背広に、議員バッチが光っていた。そしてショルダーバック。初当選の新人の格好は、保守も革新も関係ない。後ろのベンツのシートにはビニールがかかっていた。10数年前の自分もそうだった。まだ若かった頃の自分を見た。久保田の40代後半のさわやかな笑顔、ポマードはつけない。清潔感。コロンもない。脂ぎった政治家のイメージを否定する、典型的な若手を演出していた。60代で保守系の當間は、嫉妬にも似た煮え切れない感情を胸の奥に見つけた。

 2人より遅れて、動物園の園長が事務所から出てきた。40代半ば。黄を基色とした明るい色彩のかりゆしウェア、髭を剃り残した陰気な顔の表情が経営能力を[うかが]わせていた。平気で遅れてきて、何も言わない。

「當間先生、お忙しいところご苦労様です」

「久保田先生、はじめまして。園長の知念幸雄です」

簡単な挨拶を終え、動物園の中へ入る。入り口から吹き抜けの広場に入ると、先の方で緑の芝生と湖が見えた。すべてに太陽の光が反射して、開放的でやわらかに美しかった。

「先生、こちらです。植樹祭の方は1時からとなっておりまして、記者の方々もその時間に合わせて到着するそうです。それまでのお時間、動物園の案内をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 歩きながら植樹祭の段取りを確認する。遠くから動物達の鳴き声が聞こえてきた。

「いやー、動物園の入り口って、何だか胸が躍りませんか?私はここが1番好きですね。遠くから聴こえる鳴き声や、かすかな獣の臭い、一体どんなのが出てくるのか、想像が沸いてきて、ドキドキするんです。こんな気持ち、久しぶりですよ。童心にかえります。今では何か行事時でもないと来ないですけど。當間先生、お孫さんは?」

「いえ、長男が今年、大学に行ったばかりですよ」

 左右に植えられた、ヤシの木の間から木漏れ日が光る道を抜けると、猿が現れた。手足が長い、珍しい外国の猿たちは當間たちに気が付くと、腹を空かせているのか、餌をねだる様に檻の中を上へ下へと動き回った。

 當間も久保田も珍しい動物たちに目を見張った。オラウータン、オオカミ、カバ、ゾウ、キリン、ライオン、孔雀。そして、クマ。

 「當間先生。いやー、久しぶりに見ると動物って、いいですねー。ライオンなんか、他にはない、迫力がある」

 「そうだねー。実はキリンが好きでね。いつ見ても、あの隆々しい首の感じがたまらないんだよ」

 クマ山の観客席は木陰になっていて、涼しかった。9月の乾いた風と、大きな桜の木陰が、脂ぎった中年3人の影を飲み込んだ。

「喜んでもらえて光栄です。上を登った所にコアラハウスがあるんですが、先生方はコアラを見た事ありますか?」

「コアラ!昔、オーストラリアに留学したときに抱いたなぁー。懐かしい。先生、観に行きましょうよ。園長、もちろん抱っこさせてもらえますよね?」

しばらくここから動きたくなかった。風が涼しいし、この熱い陽気に、階段を登ったら、たまらない。今、この時点で頭が燃えるように痒いのだ。それにぬいぐるみじみたコアラは去年見た。

「私はもう少しここに居ます。クマが好きでね、それにここは涼しい。後から行きますんで、先に抱いててください。ははは」

「クマのほうがお好きなんですか。じゃあ、お言葉に甘えて。先にコアラを抱かさせていただきます。園長、さぁ行きましょう」

 園長に連れられ、久保田は當間の視界から消えた。誰も居なくなった。花壇に座り、帽子を置いて、汗ばんだ頭を風にさらした。12時の鐘がなった。あと少しで植樹祭、それが終われば帰れる・・・。・・・・。・・・・・・。

「先生!」

 久保田の声が遠くから聞こえ、目を覚ました。

・・・帽子・・・。

帽子を取ろうとしたが、どこにもない。彼は気が動転して立ち上がった。周りを探す。

「あっ」

 當間の帽子は、クマ山の中に落ちていた。何とか手が届かないか、手が届かないか。隣の檻のキリンと目が合った。(キリン!俺にもキリンのような隆々しい首があったら!キリン!キリン!キリン!俺はお前がうらやましい・・・)

クマ山の底は深かった。 

「先生、やってきましたよ。思ったよりコアラの毛は固かったです」

 久保田と園長が笑いながら、當間のもとへやってきた。

「先生方、お昼にしますか。あれ。當間先生、その格好は」

 着ていた緑のかりゆしウェアを、とっさに頭に被ったせいで、當間の脂ぎった素肌の腹がポッコリ出ていた。それを見つめ、2人は沈黙していた。

「いやぁ、暑くてね。こうしたらけっこう、しのげるのよ」

「へぇー、じゃ私も先輩を見習ってやってみよう。あっ、確かに涼しい感じがしますねー」

「じゃ私も。ほぉー」

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