戦後最大級と大仰に報道された台風23号の接近で、午後に動物園の臨時休園が決まって、「どうせ明日は休みだから、今夜は飲みに行こうぜ。戦後最大級なんだから、明日は大丈夫、大丈夫」という誰が言ったか忘れてしまった言葉に押されて、早々と片付けと台風対策を終わらせ、午後3時ぐらいから飼育員全員で飲みに行ったんだ。

カクマクマ第五話 第5話 探せ、探せ、探せ。
第5話 探せ、探せ、探せ。

 散々に飲んで、店から出ると風が止んでいた。

「台風の目かぁ? 今のうちに早く帰ろう、帰ろう、な? タクシー!!」

 帰りのタクシーのラジオで、天気予報を聞いた僕らは途方に暮れた。台風が逸れた。午前4時。開園は10時だから、そのまま動物園へ行き、飼育員の更衣室でギリギリまで寝る事にした。今日は4人全員出勤だから、8時に掃除を開始しても何とか間に合うだろう、僕らはまだ気楽だった。

「た、大変だ!みんな起きろ。」

 夢から呼び起こしたのは、ノムさんの声だった。名前が金城ノボルでノム。“ノム”なのに下戸のノムさんは、昨夜はジュースだけしか飲んでいなかった。一番の年長者なのに一人で掃除を始めているところをみると体調は万全のようだった。

「火事?ノムさん、火事?」
「火事じゃないよ、カクマクマ、カクマクマ。」
「カクマクマ?カクマクマがどうしたんですか?」
「カクマクマが居ないんだ。」
 
僕はまた眠った。もう、下手な嘘だ、眠りたい。他の2人の足音とドアを開ける音を聞きながら再び夢の中に入ろうとしたら、誰かが僕のお尻を思い切り蹴った。

「な、何するんですか?」
「カクマクマが本当に居ないんだ。」

ソネさんの本気の顔を見て僕はあることを思い出した。

・・・・・・・そういえば、昨日カクマクマを保護檻に返していない・・・・・・


「とにかく来い。」
 
 私服のジーンズ姿のソネさんの後ろを追って、クマ山へ急いだ。朝の強い日差しが起きたばかりの目に刺さった。 クマ山に作業服姿のノムさんと、昨夜のままの私服に寝癖のついたボサボサ髪のサクさんが立っていた。

「仲宗根、安村、大変だぞ、これを見ろ」

 クマ山のそばに植えられていた桜の木が、クマ山の方向に折れていた。まるで外の世界と檻の中を結ぶ小さな橋のようになっていた。

「もしかして」

 桜の木の樹皮にまだ新しい爪跡のようなモノが残っている。

「カクマクマが外に逃げた。ここは危険だ。取りあえず更衣室に戻ろう」

 飼育員専用更衣室のつけっ放しになっていたテレビを消し、冷たいパイプ椅子に座った。考える。もしカクマクマが何かを襲って食べたりしたら、責任は…全てが暗黒に包まれたような、先の見えない不安が僕の内臓を締め付けた。

「とにかくだ。カクマクマを探そう。逸れたと言っても、昨夜はすごい風だったから、そんなに動けなかったはずだ。探せば10時までには、絶対に見つかる」

「ノムさん、園長にはどうしますか?」

「いや、事を荒立てるのはよくない。ここは俺たちだけで何とかしよう。園長には、」

(ピンポーンパンポーン おはようございます。業務員連絡 ただ今から9月度の朝礼を始めます。本日出勤している職員は全員、駐車場広場まで集合して下さい。)

園長の声だった。時計を見る。8時50分。今日は月に1度の朝礼の日だったのだ。

「そうかー、朝礼の日だった。行かないとマズいよ。どうしようノムさん」

「4人居るんだから、2つに別れよう。お前と安村は朝礼へ行け。俺とソネの2人はカクマクマを探すから、お前らは朝礼に行け。大丈夫。2人居れば、カクマクマを見つけても安全に山まで連れて行ける。とにかくだ、園長には黙っておこう。」

うつむいていたサクさんが顔を上げ、ノムさんに言った。

「そうだ、ガンちゃんだ。天願に電話しよう。今日は日曜日だし、あいつ仕事休みのはずですよ。元々はカクマクマの担当だし、電話したら手伝ってくれるよ」

「そうだな、電話してくれ」

 ガンさんは僕と入れ変わりで動物園を辞めた人だ。数回だけ、会った事があるけれど、結婚式場で働いているという事以外、何も知らない。
 駐車場広場に着くと、もうすでに朝礼は始まっていた。広い駐車場に従業員20名の整列。きれいに並んでいるこの人たちと僕らにはどこか距離がある。
 イベント経営と集客担当の彼らと、飼育員の僕ら。会話はなく、僕らは僕らで、タイムカードを押す時と昼メシ朝礼以外は飼育員専用更衣室で孤立している。僕は一番後ろの列に並んだ。

「安村、遅い。何で遅いんだ。しかも私服じゃないか。朝礼はちゃんと作業服に着替えてから来なさい。」

 死んだ先代のバカ息子。23歳でここの園長に就任して2年目に、苦肉の集客策としてコアラを飼った。

「コアラなんてやめろ!問題はそんな単純じゃないんだ!」

 サクさんの必死の抵抗をよそに、園長は独断でコアラを購入し、コアラ専用のハウスまで建設した。そのニュースは、沖縄県内の新聞、TVニュースなどを賑し、動物園に人が押し寄せた。

「なーんだ、コアラって全然動かないじゃん。」

 入園客は口々にそう言った。夜行性のコアラは昼間はまったく動かなかった。動物園は6時に閉まる。コアラが動き出すのもその時間ぐらいからだ。コアラフィーバーも徐々に冷め、半年で客足は元の状態に戻り、そのまま遊園地の経営は破綻した。

「人間みたいに動物だって夜行性は直せるものだと思ってたんだ。」

 それ以来、園長はこの仕事にやる気を持っているとは思えない。やる事は月に一回の朝礼で精神論をぶつ事のみ。それ以外の日は顔も見せない。気まずいのか、サクさんとは滅多に口をきかなくなった。だから今日も僕だけに文句を言っているのだ。

「えー、明日、植樹式を舞台広場でします。沖縄市議会のお客さんも来るんで、今日は徹底的に掃除して明日に備えるように」

 植樹式。平成何年、誰々寄与とか書いたくだらない立て札と樹を植える、意味のない式だ。市の援助を受けて、遊園地再建を企む園長には市議会に媚を売る絶好の機会だ。

「おい、安村、聞いてるのか?前から言いたかったんだけど、貰ってる給料分、ちゃんと働いてるん?人間ってのは働かないと心が崩れてしまうんだ。いいですか。みんなも心して聞くように。」

「お前に言われたくないんだよ!」その言葉が喉の奥から溢れそうになったその時、1台の車が駐車場に入ってきて乱暴に止まった。天願さんだ。朝礼に並んでいた全員が注目した。

「カクマクマは!?なぁ?カクマクマは。」

「おう天願君、久しぶりだな。カクマクマがどうかしたのか?」

 まずい。

「いえ、実はカクマクマが・・・・」

「カクマクマが新しい芸を覚えたんです。」

 サクさんが話に割り込んだ。天願さんが睨みつけた。

「おい、そんなのの為に俺を呼んだのか?」

 天願さんも寝起きだったらしい。

「俺はカクマクマが」

「芸を覚えたんです。すごいでしょ。僕が教えたんですよ。」

 何とか話に割り込んだ。

「ほー、クマが芸を覚えたのか、安村、お前もやるじゃないか。そうだ。明日、市議会の皆様にも見てもらおう。後で私も見に行くよ」

「園長、違います。実はその芸ではなくて、言いにくいんですけど、こっちのゲイという意味でして」

「おい、佐久田。何を言ってるんだ」

「だから、カクマクマがゲイになっちゃったんですよ」

 その瞬間、思いっきり殴られ倒れた。天願さんだった。

「お前、どうやって・・・カクマクマに何したんだ!ちくしょー!」


「ごめん、変な事を想像して、ついな、熱くなってしまったよ」

「いいっすよ。おかげで、ドサクサで園長にバレずに済みましたし」

 殴られた頬を氷水で冷やしながら飼育員専用更衣室へ向かう途中、カクマクマを探していたノムさんとソネさんが走ってやってきた。

「おい、みんなこっちに来てくれ。」

 カクマクマのクマ山から6メートルぐらい離れた所にあるフェンスのドアの鍵が壊されていた。園と職員駐車場の間にあるこのフェンスを越えれば、行く手をさえぎるものはほとんどない。カクマクマは動物園の外に逃げたのか。
職員駐車場はただの空き地で、整備されていない。駐車場の周りには不要になったガラクタと雑木林があるだけだ。この近くに民家はないが、動物園がある山の麓はちょっとした町になっている。もし、そこに降りたら…

「おい、これがバレたら、クビどころじゃねぇぞ。」

 この状況に僕は居ても立っても居られなくなった。

「お、俺、林の中を探してきます。」

「待て、安村。雑木林にカクマクマが潜んでいたら…危険だから止めておけ。それにもう開園時間だ。皆、それぞれ持ち場に戻って通常業務をしろ。とにかくこれは絶対にバレてはいけないぞ。俺たちだけで何とかしよう」
 そう言ったノムさんの表情には何か考えがあるようだった。


 昼休み、僕達は食堂は使わずに近くのコンビニで弁当を買って、更衣室で食べた。

「自分、思ったんですけど昨日の台風ってすごかったじゃないですか、この辺って結構崖もあるし、もしかしたらカクマクマは死んだのかも知れませんよ。」

「おい、安村と天願の気持ちを考えろ。簡単にそんな事を言うんじゃない。」

 僕は横にいる天願さんを見た。早い時間に呼び起こされたからか、うつむきに寝ている。
そんな事よりも…

「明日の植木式、どうすんですか?あいつが1年で一番張り切る日ですよ。多分、園長は市議会員たちを連れて動物園中をガイドしますよ」

「そうかー。あいつ、カクマクマが病気っていっても、見栄があるから、無理にでも引っ張って来いと言うはずだな。」

「大丈夫。俺に考えがある。安村、お前、物置に行ってクマの被り物取って来い。」

「ノムさん、どういう事ですか?」

「明日、お前休みだろ。お前がカクマクマになれ。」

前頁←

次頁→

表紙へ戻る